昭和43年6月9日 夜の御理解 【入力者:梶原佳行】
今日ご本部参拝が若先生を前提に25名でしたか、出発いたしまいした。その時に、出発に(そらして?)から、御祈念をさせて頂いておりましたら、神様からこういうことを頂くんです。
★お繰り合わせを頂いてご参拝が出来ておるのであるから、お繰り合わせを頂いてご参拝が出来るのであるから、まず暇のお繰り合わせを頂いて、旅費のお繰り合わせを頂いて。まぁ様々なことでお繰り合わせを頂いてお参りが出来るところまで段取りが出来た。
ですからその、お繰り合わせを頂いてご参拝が出来るのであるから、その事のお礼を申しておったら、道中のお繰り合わせも、留守の間のお繰り合わせもおかげが頂けれるということであった。
これはね、信心させて頂く者が皆この気に、こういうことになったらおかげ頂くのですが。お繰り合わせを頂いておる。お繰り合わせを頂いてお参りが出来るのである。お繰り合わせを頂いた、金銭の上にも、暇の上にも。今日農繁期に入ったから、これは家族の者が、この忙しいのにというような人も中には何人かあった。けれどもやはり、(お参りを?)さしていきよる。そりゃお繰り合わせを頂いておるですね。
北野の「辻?」さんなんかは、息子さんが今度はお参りをする。お百姓の中心である「きよし」さんが参られますから、お母さんがこげん忙しか時にあんた参らんでん、皆がよう忙しかところにあんた、というてその昨日、一昨日それ言われる。だから、お断りが出来るなら断って来るよち。
そしたらですね、その日の中に腰の痛うなってから、お母さんがね、あのそれこそ、あのごぞごぞ這わなければならんごつなっとる。今朝からお父さんがその事をお届けされる時にです、今朝の御理解じゃないですけれどもね、子供連れてぼとぼと百姓しよってくれちいよるけん、おじいちゃん、「辻?」さんのあんた、いっちょ子供連れて行って、子供連れでぼとぼと(信心し?)あの取り上げの時には、取り上げしおりゃよかがのち私は今日言いましたけん。
やはり、おかげ頂いてからですね、今日お参りが出来たんです。お気付け頂かにゃ分からん。ほうらばあちゃん見てんの、あんたがいらん事いよるけんでということになる。朝はよ参って(きてくれで?)今日「あいずの?」さんもそうだった。同じ部落でしょう。ですからすぐ話をつけてから、断ってあったんですけど。丁度、それが始まるからっち。けれども、やっぱりお参りさせて頂こうというてから、「あえだ?」さんも一緒にお参りさせて頂いた。
この辺のところがなんともいえんところですね。これはね、もう金光様のご信心のおかげのこつっちゃもうここですよ。お礼さえ申し上げときゃおかげになるのです。それ皆が知らんもんじゃけん、そのお願い、もう頼むこと願う事が信心のごと思うとるですね。
そして何か困ったことにならなければ、そのお参りしないじゃいかん。お礼参りが、有り難う、有り難う出来りゃね、もう願わんでも、頼まんでも神様が、もうそういう、それこそ痒かところに手が届くようにしておかげ下さるもんですよ。
お繰り合わせを頂いてお参りが出来るのであるから、そのお礼を申し上げときゃいいち。そうすりゃ道中のこともお繰り合わせが頂けるだろう、いや留守を開けてくるその、留守のこともおかげが受けられるとこういう。
これはね、もう信心を少し分からせて頂いた人達ならね、ここんところの体験皆持っておる。ですからいうならばね、実はおかげ尽くめの中に私共があるとですよね。もう生きとし生けるもの、全てのものがまず第一にお生かしのおかげを頂いておる。
頭が痛いの痒いのというけれども、痛い痒いとてもやはり、お生かしのおかげを頂いておる印なんだもんね。だから、頭は痛うございます。腹は痛がりますけれども、ね、これは生きとる印だから、というようなお礼が本当に出来るようになったらね、お繰り合わせを頂いて、今日このようにおかげを受けておるという、そのお礼を申し上げりゃおかげの頂けれる信心。
ところがね、そこんところが、それが分かっておっても形、理屈の上じゃ分かっておる。ほんに先生が、あなたが仰るのでも、本当にお生かしのおかげを頂いておることだけは分かっとる。けれどもこっちの苦しかの方が強か。そんなこっちゃないですね。
信心させて頂いて本当に分かりゃもう、腹の底から有り難い。痛いけれども、有り難い、ということ。ことになって来るです、結局そこ修行不足なんですね。そこで私は思うのにね、ならどういう修行させて頂いたならよいか。
昨日、んー、昨日じゃないですかね、今日が日曜じゃったね、今日は少年少女部会の方達が、皆参ってきとった。久留米の「和泉?」さんが、あちらの「みつお?」君が、もう中学校一年生ですか、この前の日曜に、お母さん今日は日曜だからね、明日日曜だから、お母さんの朝参りと一緒に僕も起こしてくれというた。で、お母さん参るから起こしたけれども、どげん言うても起きらん。そしたらお母さんだけ参って来た。
それから丁度、少年少女部会に間に合うくらいの時間に参って来てるんですよ。そこでお届けすることが、今日は僕は、あのお母さんにね、神様にお願いしとってからその、神様の言われる、仰る、神様にね、申し上げとったことを破ったちいうから。だから僕は、今日は帰りがけには、合楽から椛目まで歩かせて頂きます、ちいう訳なんです。
はーそりゃよかこと思いついたね、そりゃおかげ頂いたばいね。もう本当にね、お母さん達がちゃんと信心してみせているから、まだ小学校の小さいですもんね。まだ一年生ですよ。中学校の一年生ですけどね。
もうとにかくお詫びの印に修行しようとこういうてある。その事を今朝から来てから、お母さんと二人でお礼申し上げよるとですよ。それが、(さいせんぶくろを?)つんでから、こっから歩いて椛目までいった。
ところが後ろからいっちょんバスがこんじゃったげな。そしたげなね、もう椛目についたのと、その久留米げのバスが来たのが一緒やったげな。いやー、おかげ頂いた、あそこで待っとったっちゃやっぱこのバス。
ね、まぁ子供の足だから、15分か20分かかったでしょうね。そのあいだ、だからそのバスが後ろからこなかったとこういうわけなんです。ほれで(僕が?)偉いなぁと思うてから乗ったげな、そしてから若先生が乗っちゃったっち。ほりゃもう今日はいよいよおかげを頂いたちうて、帰ってそれを嬉しゅうしてこたえん。
それから、それをおばあちゃんに話たげなけん、おばあちゃんが喜ぶ。家の「みつお」は違いますち言うてから喜んだって。もうこの人も神様にお願いして出来た子だし、神様からのお名前を頂いて「みつお」ち頂いとるっちゃけん、もうこの子は(ほろうてあさに?)違うだろうち言うてから(あたくし?)自慢しまして(えきょ?)高橋さんお母さんに言ってます。
修行っていうことは、ちょっと心がけたら子供でも出来ることなんです。そういう修行が出来ておる時にはですね、自分もそこにね、修行を受けたぞと仰るような、ちゃんとはっきり印が見えてくるのです。
もし修行として頂きよっても、修行がえがない。お参りしがいがないなら、まだあなたの修行がね、ほんなもんじゃない証拠。もう泣く泣くしぶしぶしよるからなんです。これじゃいけん。相済まん、相済まんと思うたら、その相済まんその印に、ただ済みませんというだけじゃつまらん。
相済まんの印に、合楽から椛目まで歩かせて頂く。そこにね、バスが全然追い抜かなかった、来なかった。それも有り難いと思うた。はーこりゃおかげ頂いたと思うて乗った。それにね、その何時もあることじゃないですもんね、勝彦が乗っておったと。若先生がそのバスに乗っっちゃった。
はーもうおかげ頂いたというてその、帰ってそのまぁおかげの実感を、おかげ話として子供が家族の者にさせて頂いた。お母さんが喜びゃ(なおさら?)けれども、おばあちゃんがそれ見て、もう一家中が喜びに、何て知らんけれどいっぱい喜びムードってそうして生まれて来るんですよね。
おかげ、はーおかげ頂いたね。おかげ頂いたね。そこなんです、ですから有り難い有り難いですから、もうこれには例えば限りがない、おかげというのは。ん、その辺のね味わいというものは、もうそりゃもう何ともいえん、生きた信心、生きた働きにね、もう神様の生きた働きがそこに感じさせてもらう。拝ましてもらう事が出来るのです。
これは、これとは少し反対なんです、まぁ「せき?」さんがその、参って来て今ここでお届けがあった。今日は青年会の方達を久留米駅まで送った。娘が参っておられる。兄弟二人でお参りをさせて頂く、ちゃんと申し込んじゃった。
ところが明日あの、東京の「山野あいこ?」さんていうねあの美容師さんですか、有名な、あの方の講演があることになった。だからその大体が美容師さんなもんですからね、御本部にもお参りしたいけれども、「あいこ」さんのお話も頂きたいちいうわけなんですね。
それで妹だけお参って、自分は止めたっていう訳です。やはりそのお届けがあっておりました。ね、昨日佐田さんのところが丁度、あの共励会でしたから、いやあのちょっと(いっかく?)おかげ頂くなら、何かお供えものでも買わせてもらおうと思って、お菓子なんか買いよっところへ丁度光橋先生もやって来た。
それで、光橋先生がこれを買うちいいなさるけんで、なら私もこれを買うてと、たったそれだけの間にね(かたもとられた、上着?)そりゃもう本当にもうただ、ありゃやっぱり演出するとでしょうね、タオルがね全部こう下へ落ちてしまった。でそれをこうやって上げた時にはもうなかった。
だから、タオルのおかげで(みえっかわ?)なかったんですね。それから直ぐ警察にいけっち言うんで、直ぐあの側の交番所に行ってから(引き返して?)その時にひょっとすりゃ、入れ物だけこりゃ出てくるかもしれんて、しきりに(上に?)感ずるのです。
帰って(きたげ?)なら、この( ? )あの2階に忘れ物っちいうちから、今届けなさった人がありますち言うて( ? )勿論中身は抜いちゃった。けれども鞄だけでも出て来るちうことはこりゃめずらしかですよち、その警察もその、まぁ周りの方も言われたってこういうのですよね。
その時に、とりあいず瞬間にお母さんが思うたことですよ。これはもう必ずですね。「せき?」さんなんか、あぁした人相手のお商売なさっておられますから、お参りしようという日に、参られなくなってこられた。その時には必ずその旅費と、その時の自分のお小遣いぐらいの金は必ず、この御本部参拝をさせて頂いたと思うて、というてお供えされるんですよね。
もうそん時にもうそれこそはっと思うくらいに、はー神様がね、何時もならそう思うんだけど、今日は、今度は兄弟二人参ったでしょうが。だから一人ならそげんしとろうじゃったろうばってんから、妹の方が参るけんよかていとこう思うた。
そのよかていと思うたことが、機感にかなわん。(途中切れ)